2017年4月22日土曜日

桜の土浦駐屯地&大洗旅行記。土浦駐屯地三式中戦車とひほうかん(火砲館)編

小火器コーナー編の続きです。

館内でお話したりお食事したり、お土産買った後に再び外の展示を観に行きました。
99式自走155mmりゅう弾砲と96式装輪装甲車。
99式はシン・ゴジラでも砲撃を加えていた。(そして効かなかった)
 そして三式中戦車を観に行きました。実物を見るのは初めてです。
三式中戦車。
一式中戦車(九七式中戦車を改良した戦車)に大型砲塔載せて
九〇式野砲(口径75㎜)を搭載した。
真正面から撮るとガルパンの戦車探しシーンの構図となりますw
三式中戦車の砲塔。
九〇式野砲を載せるため大きくなっている。
ちなみに砲塔後ろのでっぱりは砲弾庫になっている。
三式中戦車のキューポラ。
視察窓が普通の孔になっているのに注目。
三式中戦車の主砲。
九〇式野砲はM4シャーマンを正面から葬ったことがある。(ただし500mからの砲撃)

三式中戦車の主砲基部。
しかしこの辺り元のままで、装甲とか施さなかったのだろうか・・・機銃弾だけでも
発射不能になる気がする・・・。
三式中戦車のマズルブレーキ。
操縦手視察ハッチと前部機銃のボールマウント。
このあたりとんでもないことに気付いた。
操縦手視察ハッチ。
よーくハッチ見てください。

操縦手視察ハッチ視察孔の拡大。
ここ普通の「孔」になっています。防弾ガラス付けた痕が一切無い
これ真っ先に死ぬの操縦手な気がする・・・機銃弾受けて・・・(ゾッ。

三式中戦車の足回り。
この辺は一式中戦車なので九七式と変わらない。

三式中戦車の転輪の拡大。
転輪のゴムはヨコハマタイヤなのは新発見。
あとは周辺の展示も見ました。確実に宝の山でしたね。
155mm迫撃砲。
ソ連製かと思ったら日本製の試作で、結局採用されなかった。

ソ連製82㎜迫撃砲BM-37。
普通の迫撃砲は81㎜だが、82㎜になっているのは、他国の81㎜迫撃砲弾を
鹵獲後この迫撃砲で使えるが、ソ連製82㎜砲弾だと大きすぎて使えないようにしたため。

ソ連製120mm迫撃砲PM-38。
車輪を有していたなどの理由でドイツ軍もコピーして使用したほどの優秀な重迫。

M27 105mm無反動砲。
この砲を改良したのが、60式自走106mm無反動砲の主砲、M40となる。
4.5インチ 対地ロケット発射器。
大戦中、米国が使っていた。

M1937 45mm対戦車砲。
ソ連の対戦車砲。独ソ戦初期に使用し、その後軽戦車や装甲車相手に使用した。

M1942 45mm対戦車砲。
ソ連の対戦車砲で、前述のM1937を改良した砲。
Ⅳ号戦車やパンター戦車の正面では対抗できないため、側面を狙った。

76mm師団砲M1942。
ソ連のあまりにも有名な対戦車砲。
高初速なので着弾後に発射音が聞こえるため、ドイツ軍からは「ラッチュ・バム」と呼ばれて恐れられた。

35mm2連装高射機関砲 L-90。
陸自が使用していた高射機関砲。
この砲を使用した自走砲が87式自走高射機関砲。
2009年退役した。
そう言えば火砲館を見ていないので見に行きました。そこには祖父が使っていた三八式野砲改があったのです。

火砲館と書いてひほうかんと読む(嘘
中には太平洋戦争で旧軍が使用した火砲が並ぶ。
三八式野砲は明治38年(1905年)に採用された野砲ですが、射程を延ばすために仰角を増やすように改造されたのが三八式野砲改となり旧軍の火砲不足のため終戦まで使用し続けた砲なのです。
三八式野砲。
日露戦争中にドイツのクルップ社に発注した野砲で、口径が75㎜ある。
今風に言ったら「05式野砲」というかな?
三八式野砲の後部。
単脚のため、仰角+16度までしか上がらなかった。
三八式野砲改。
見た目そんなに変わっていないが、後ろに回るとその違いは一目瞭然。
ちなみに砲の左右で1人ずつ計2人乗れるようになっているのに気付いた。
三八式野砲改の後部。
仰角を増やすために単脚をY字に改造し、これで仰角+43度になった。
ただこの改造で故障が多くなったので信頼性は下がった。
三八式野砲の右後部。
砲尾も変更されているのも分かった。
ちなみに右の丸いハンドルは車輪を止めるためのハンドルで、
砲前の連結棒と連動して左右の車輪を止めるようになっている。

三八式野砲改の右後部。
砲尾下を見ると砲尾を固定する器具が付いているのが確認出来る。
この器具は元の三八式野砲には付いていない。
三八式野砲の左後部。
仰角、左右ハンドル(どちらかは不明)。
ここの砲側のハンドルも改造している。
三八式野砲改の左後部。
砲側のハンドルが上に延びている。
これは仰角が増したため、干渉しないように改造したもの。
三八式野砲改の砲固定装置。
駐退復座機の下に付いているが、元の三八式野砲には付いていない。
たぶん元の野砲を牽引する時に不具合があったため、改造する際に取り付けたと思われる。
ちなみに左のハンドルは車輪止めハンドルで、前述した車輪止めハンドルと連動している。
祖父が使っていたと言いましたが、恐らく昭和20年に祖父が駐屯していた京都山科で陣地を作って上空に現れたグラマン(形式不明)をこの砲で対空射撃したと語ったことがあるのです。詳細は聞けずじまいになったのですが、恐らくこんな陣地だと思います。↓
三八式野砲改の対空射撃の陣地(想像図)
祖父は前に堆土して砲脚側は掘り下げたと語った。
実際はこうじゃないかもしれないが、こうしないと上に向けて全周射撃は出来ない。
ちなみに前にツイートしたのはこれこれ
三八式野砲の詳細を見つつ撮影した後はその他の砲を見学してから火砲館を後にしました。
四一式山砲。
口径75㎜。山で輸送できるよう分解して運べるように出来ている。
四一式山砲の後部。
この砲は駐鋤が無いのでこのまま撃つと牽引部が壊れてしまう。
九一式十糎(センチ)榴弾砲。
口径100㎜。フランスのシュナイダー社が開発、製造し、後に国産化した。
ちなみに九〇式野砲もシュナイダー社が開発した大砲である。
九一式十糎(センチ)榴弾砲の後部。
閉鎖機には隔螺式(かくらしき)というのが分かる。
九一式十糎榴弾砲の砲脚。
固定するにはアンカーを打ち込んで砲脚を固定するのがよく分かる。
それにしてもこの方法確実だけど面倒臭い方法だなといつも思うw
九四式三十七粍(ミリ)砲。
口径37㎜。旧軍初の対戦車砲で太平洋戦争末期まで使用された。
九四式三十七粍砲の後部。
旧軍砲脚固定打ち込むの好きだなーと思う。
一式機動四十七粍砲。
口径47㎜。前述の九四式の威力が通じなくなったため採用された。
知波単学園の九七式中戦車改に搭載されている主砲は、この砲の車載型。
一式機動四十七粍砲の砲尾部。
ガードは水平鎖栓式なので照準手に当たらないため。
それにしてもハンドルが左右に分かれていて戦車とかの移動目標を照準しにくそうに見える。
四年式十五糎榴弾砲。
口径149.1mm。大正4年、砲身と砲架を馬で分割搬送できるように作られ制式化された。
ちなみに移動状態から発射まで十数分かかったそうな。
四年式十五糎榴弾砲の後部。
閉鎖機は垂直鎖栓式だが、閉鎖機が上に上がり、他にない面白い構造になっている。
クルップ砲。
日清戦争で清国が使っていた物を旧軍が鹵獲した物。
15:30頃土浦駐屯地開放終了の時間になったので、駐屯地を去ってガルパンさんの車で行方市周りで大洗に行きました。
土浦駐屯地入口近くの155mm榴弾砲M1(奥)と105mm榴弾砲M1(手前)。
近く行って写真撮りたかったが、撮りに行くと再び荷物検査されるという
罠になっていて撮りに行けなかった(泣
国道345号線にある霞ヶ浦大橋。
奥にあるタワーは霞ヶ浦ふれあいランドの虹の塔
悪の秘密結社のタワーと呼称して盛り上がったw
17:20大洗にある日野屋商店さんにお邪魔して色々素敵なお話しをし、19時にガルパンさんとお別れした後、大和旅館さんに着きました。
日野屋商店さん作オカラアートの「マツコデラックスと稀勢の里」。
この1週間後、サーバルちゃんのオカラアートが出ると思わなかったです(驚きと歓喜
食事と風呂とガルパン鑑賞してから、23:00FMだいごの「WatchOut?!NightFishing」を拝聴して0時に就寝しました。
陸自車輌の後姿。
あいにくの霧雨でしたが翌日のが大変なことにw
こうして土浦駐屯地桜鑑賞会は終わりました。あいにく霧雨でしたが、ガルパンさん達に再び出会え、お食事やお話し出来たこと、また貴重な車輌や火砲が見られたことに感謝いたします。(-人-)また再び集まってお食事会とか駐屯地見学してみたいです。(^^)

まだ旅は続くんじゃ。翌日の大洗編に続く。

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