2017年6月1日木曜日

「この世界の片隅に」の聖地巡礼で呉に行きました 前篇

5月の休みを使って8年ぶりに広島県呉市に行きました。
目的は主に
「この世界の片隅に」の聖地巡礼です。
ちなみに3回目の呉です。

22:30大阪発の夜行バスに乗って7:20呉駅に着く予定です。
大阪駅JR高速バスターミナルの7番のりばから夜行バスに乗れます。
この時に改札中央北口から出ると簡単に大阪駅JR高速バスターミナルに行けます。
大阪駅JR高速バスターミナルの7番のりば。
なんで↑が太字なのかというと、大阪駅周辺にいろんな高速バス乗り場があるからなのです。
看板の通りでも行けますが、最低でもこの2点覚えればバス乗り場に行けます。
5月8日(月)
7:20呉駅に到着しました。ここで驚いたのが駅の形。戦中、現在の形は普通違うはずなんですが、真ん中の形が同じ半円形だったので「同じ建物?」と錯覚を起こしました。
これが現在の呉駅の駅舎CREST。
劇中に出てきていた昔の呉駅の駅舎。
真ん中の半円形が2つの建物にあって錯覚を起こしました。
まだ大和ミュージアムとてつのくじら館が開いていなかったので、駅の西にある二河川河口の二河川公園に行って朝食食べながら自衛艦観察をしました。
二河川公園。
呉海上保安庁と第101掃海隊の近くにある公園で、結構自衛艦とかが見れます。
こんな感じで自衛艦のお尻などが見れたりします。
輸送艦おおすみ とか
訓練支援艦 くろべ とか
(艦尾だけですが掃海母艦 ぶんご もいました。)
初めて見る護衛艦 かが とか
沖合に停泊する輸送艦 くにさき とか
方向転換する護衛艦 いなづま などが見れました。
ちなみに第101掃海隊には掃海管制艇ゆげしま(左)、くめじま(右)がいました。
9時前になったので移動して9:00にチケットを購入して大和ミュージアムに入りました。
大和ミュージアム近くにあるてつのくじら館のあきしお。
いつもながら大きい。
大和ミュージアム(呉海事歴史科学館)前の戦艦陸奥の野外展示。
前にある灰色の棒は艦尾の軍艦旗を掲げるマストなのだが、位置が違う気がする・・・
第25回企画展「海底の戦艦大和」をやっていたので見学しました。中でも実物大の大和の艦首が再現されていたのが驚きました。
第25回企画展「海底の戦艦大和」の中。
呉市が潜水調査して分かったことを展示しています。
なお、館内の展示について撮影してもいいのですが、映像に関しては撮影禁止になっています。
今も眠っている大和の艦首を再現した原寸大模型。
すごくデカく精巧に出来ているのが驚きました。
その後常設展を見学し、念願の「この世界の片隅に」ロケ地マップを手に入れました。
1階にある10分の1の戦艦大和の模型。
毎回見るたびに喜んでしまう(*´ω`*) 
8年前には無かった大和ミュージアムと戦艦ミズーリと姉妹館協定締結している展示。
ミズーリの砲塔の構造模型がよく分かります。
呉の歴史にある明治に起きた第六潜水艇事故と佐久間勉艇長以下14名に関する展示。
佐久間勉は艇内で亡くなる時、潜水艇の未来に関して憂い記していたが、
この尊い犠牲があり今の潜水艦部隊が存続していると福井県の片隅にいる自分は思いたい。
戦時下の市民生活・呉空襲、呉と原爆の展示。
ここの展示を見ただけで、涙が止まりませんでした。
なぜなら「この世界の片隅に」その物が目の前にあるのです。
その展示の一部。
作品に出てくる物が生々しく目の前にあって思い出して涙しました。
零戦六三型。
ツイッターでこの零戦見るのは4回で、呉で見たのは3回目と言ったのは
昔、和歌山県白浜で展示されていたのですがその時に見たのを含めたからなのです。
雨ざらしじゃない場所に展示されてよかったね。
(元々は琵琶湖に墜ちたのが紆余曲折を経て呉市に来たのです。)
海龍(潜水艇)
大戦末期に開発されたこの特殊潜航艇も見るのも零戦同様実は4回目。
一式陸攻などに積まれた火星エンジン。
去年スミソニアン博物館から譲渡されたものだそうな。
戦艦大和から25㎜機銃の弾がずらりと並ぶ。
重巡青葉のや灰が峰の高角砲のもある。
ちなみに奥の白く写っているのは青葉の20.3㎝砲の砲尾。
「この世界の片隅に」ロケ地マップ。
長い間欲しくてついに頂きました(*´ω`*)
ちなみに画像が見えにくいのは木漏れ日の下で撮影したからなのです。
大和ミュージアムそばのマンホール。
このマンホール見るだけで呉に来たと思う。
11:15大和ミュージアムを去ってすぐそばのてつのくじら館に入りました。
けっこう「この世界の片隅に」関連のがあって推していました(いいぞもっとやれ!)。
てつのくじら館の本当の名前は「海上自衛隊 呉史料館」といい、
れっきとした海自の施設です。ちなみに入館料「無料」です。
てつのくじら館玄関にある「この世界の片隅に」のポスター
エスカレーター付近の「この世界の片隅に」展示。
先ほどのロケマップや映画のワンシーン、水原哲と青葉の展示をしていました。
JMSDF CAFE近くの本棚。
良く見ると自衛隊関係の本と混ざって
「この世界の片隅に」原作本があるのです。
11:25お腹すいたので1日限定24食のあきしおカレーを食べました。とっても辛くておいしかったです(^^)
これが1日限定24食のあきしおカレー。
具材はハンバーグのみである意味贅沢なカレー。
飲み物はダージリンにしました。(だってあったから・・・
あきしおカレーの拡大。
ご飯が潜水艦の形をしているのが可愛かった(*´ω`*) 
ちなみにお味は上図の通り「からーい!」「からいのです」
でも美味しくてスプーンがかなり進みました(*´ω`*) 
ここでてつのくじら館についてですが、海上自衛隊の潜水艦掃海(機雷)についての展示をしている施設なのです。(なので水上艦と航空機に関しての展示は無い。)
てつのくじら館は今年で10周年おめでとうございます!く(`・ω・´)
朝鮮戦争時に仕掛けられた係維機雷が流れ着く展示。
いつ見ても本当に嫌な展示である。(住んでいる所が日本海側だから)
昔職場におられた方に聴いた話によると、
住んでいる所の海岸に流れ着いた機雷が爆発して手を失った方がおられたそうです。
なので二度とこういったことが起らないで欲しいですね。
湾岸戦争時に処理されたイラク軍のLUGM-145係維機雷。
見るからにまがまがしい。
66式機雷。
海上自衛隊が開発した機雷。
係維機雷は海に投下するとワイヤーを伸ばして重りと機雷に分かれ相手を待つ。
70式機雷。
米国が大戦中に使ったMk36沈底機雷を国産化して採用した機雷。
航空機で落として使用する。
ちなみにこれは掃海艇すがしまに搭載されていた訓練用70式機雷。
発見されやすいように黄色に塗られている。
(撮影は5月21日敦賀港にて)
湾岸戦争時イラク軍が使用していたイタリア製(左)とロシア製(右)の機雷。
この機雷見るだけでイラク軍が世界各国から兵器を買っていたかが分かる。
ちなみにこれは掃海艇すがしまに搭載されていた訓練用機雷(イタリア製にそっくり)。
余談だが訓練時に訓練用機雷を見つけたら真ん中からフレア入りのブイが浮上して
海面に出た時にフレアが発射されるらしい。
ちなみにすがしまのEOD(水中処分員)の方に聞いた話だと最新の機雷は爆破せずに引き上げて
その機雷の情報収集に務めるとのことだそうです。
ひめしまの装備品展示。
退役したひめしまの装備品が展示しており、現役当時の管理者名のテプラ―が貼ってあった。
S-4機雷処分具。
EODの人員喪失リスク軽減のため、遠隔操作で機雷を処分できる機械で、
現在最新型のえのしま型にはS-10 (水中航走式機雷掃討具)が搭載されている。
JM61-M 20mm機関砲。
機雷処分用および自衛用の機関砲として採用されていたが、
えのしま型3番艇から遠隔操作・自動照準式のJM61R-MSになる。
でもいまだ多数が使用されるので暫くは現役装備になります。
潜水艦と掃海艇の盾とメダル。
いろいろなデザインがあってかっこいんです。
潜水艦くろしおの盾。
とっても強そう
掃海艇ながしまの盾
九州と魚が良いデザインしています(*´ω`*)
あわしまの掃海用フロート。
真ん中がへこんでいるのは湾岸戦争時の掃海でへこんだから。
初代くろしおの模型。
海自最初の潜水艦は米国の潜水艦ミンゴだった。
ちなみにこの模型は分断されていて艦の構造が分かりやすいようになっている。
潜水艦の食堂の机と椅子。
この椅子には秘密があって・・・。
椅子の中にはタマネギ、ジャガイモが入っています。
いかに潜水艦が狭いかが分かる展示です。
潜水艦で使用されている三段ベット。
大人一人分の大きさしかないベットに飛び起きたら確実に頭が天井にぶち当たる仕様。
はっきり言うと「めっちゃ狭い」
こんなに美味しそうな食事が
赤色灯で美味しくなさそうに・・・(´・ω・‘)
これは昼夜の区別がつくように灯りの色を変えているのです。(ちなみにこれは夜)
無人対潜ヘリDASH。
遠隔操作で敵潜水艦をホーミング魚雷で攻撃する。
米海軍が使っていたのを海自が採用したが、
1969年米海軍で退役してパーツが無くなった1977年海自で退役した。
12:25にあきしおの中に入りました。
あきしお入り口付近の各潜水艦の帽子。
海自や米海軍潜水艦の帽子もありました。
入口は元々先任海曹の部屋でした。
それにしても想像しても狭い空間です(^^;)
士官公室と厨房を仕切る壁。
真ん中の孔は食事を出し入れするための物。
士官公室。
ここで幹部は食事摂ったり会議をする。
艦長室。
他の乗員より広い部屋で、見えにくいが手前に洗面台がある。
通路にある魚雷搭載用扉。
この扉を開いて下の階に魚雷を入れる。
天井にある魚雷搭載用ハッチ。
ここから斜めに魚雷を入れて、先ほどの搭載用扉に入れる。
あきしおの操縦席。
最新型のそうりゅう型だと1人ディスプレイ見ながらジョイスティックで操船するそうだ。
時代の差を感じる・・・・。
魚雷発射室。
発令所より下の階で魚雷を発射するが、
この窓は展示用に開けた窓とのこと。
赤色灯がついた発令所。
潜望鏡は下図の通り2つある。
こんな感じで潜望鏡が2つある。
潜望鏡から覗いた景色は肉眼で見るとこんな感じ。(1倍)
2番潜望鏡だとこんな風に見えて(2.5倍)
1番潜望鏡だとこんな風に見える(6倍)
元海自のガイドさん「よーく撮ってくださいね。この前は出来ませんでしたからね。」
自分「?」
元海自のガイドさん「5月の3-5日はお客さん流していましたからね。あきしおの入口なんて1時間待ちでしたからw」
自分「!!」
どうもいいタイミングで見学できたらしいです。あきしおの中じっくり見れてよかったです。(*´ω`*)
あきしおから出たところに去年の熊本地震の災害派遣の写真が展示してありました。
これはMCH-101輸送掃海ヘリで沖合にある輸送艦しもきたに救援物資を輸送する写真。
これは救援物資を積載した輸送艦しもきた が大分港に向けて出港した写真。
これは呉基地の警備犬の紹介。
他の名前はいいんですが、「多聞丸」がツボに入りましたw
この警備犬たちも救助活動に参加したそうです。
12:50てつのくじら館を後に入船山記念館に向けて歩きました。20分後、病院前の階段に会えました。そうです「この世界の片隅に」に出てくる病院前の階段です。
国立病院の階段。
ここですずさんと晴美ちゃんがお義父さんのお見舞いで上り下りする・・・(´;ω;`)
13:20入船山記念館に入りました。ここには呉鎮守府長官の官舎や旧呉海軍工廠塔時計など呉に関する博物館です。
入船山記念館の入口。
緑が多くてとてもリラックス出来る環境です。
旧東郷家住宅離れ。
東郷平八郎が呉に住んでいた所の離れで、現在は「休憩所」になっています。
旧呉海軍工廠塔時計。
呉海軍工廠造機部の屋上に設置された時計塔で、
1981年に修復され今でも動いています。
毎日9時・12時・15時・17時の4回、市内の小・中学生が作曲したメロディが流れるそうです。
番兵所。
1人用の見張り所で「この世界の片隅に」のワンシーンで出ています。
この石にずっと番兵が立っているので石が削れて足の跡が付いています。
足の角度は60度ぐらいかな?
郷土館の「この世界の片隅に」コーナー。
「この世界の片隅に」ポスターはのんさんの直筆のサイン入り。
十年式12cm高角砲の砲身。
灰ヶ峰にあった高角砲(八九式12.7㎝高角砲)より前に採用された砲。
旧呉鎮守府司令長官官舎。
和洋折衷になっており、手前が洋館、奥が和館になっている。
壁紙で使用されている金唐紙。
欧米の金唐革を模して金唐紙が造られていたが昭和中期には製造が途絶えた。
呉鎮守府司令長官官舎ではイギリス連邦占領軍が白ペンキで塗りつぶされていたが、
1995年復元された。
洋館出入り口のステンドグラス。
一家に一枚欲しいほどとってもカッコいい。
金唐紙に触れるコーナー
触ると結構でこぼこしていました。
客室。
とっても豪華。
食堂。
机に置かれていた当時の食事のサンプルも洋食だった。
和館の座敷。
和館は司令長官とその家族が住む場所です。
それにしても豪華な洋館から来ると結構ギャップがあるw
この廊下が北条家の縁側そっくり
金唐紙の復元の様子。
結構な手間暇がかかっているのが分かる展示です。
1号館。
元は呉市警固屋(けごや)にあった高烏砲台の火薬庫で、
中に呉市の歴史に関係する絵画が展示していました。
要塞地帯票。
軍の重要な地域にあった石票で、これより先は立ち入り禁止を示していたそうです。
呉軍港を囲む山々にあったそうです。
14:20入船山記念館を後にしてすぐ近くの下士官集会所(青山クラブ)を見に行きました。この建物は1936年旧海軍の下士官兵クラブとして建てられましたが、現在解体して駐車場にする話が上がっています。戦前の建物なので修復して残せばいいのではと思います。
下士官集会所(青山クラブ)。
海軍時代では黄土色の建物だったのですが現在では赤レンガ色に塗り替えられています。
青山クラブにある自衛隊広島地方協力本部呉地域事務所。
すずさんと周作さんが会ってしみじみニヤニヤしたのはこの付近。
丸くて「呉集会所」と書かれた場所には窓があったそうです。(下図を見ると明らか)
「しみじみニヤニヤしとるんじゃ」
確かに窓ありますねー(*´ω`*) 。
呉駅に戻ってからどうするかを考えていました。それは灰ヶ峰を黄砂が出ているけど晴れた今日に行くか、それとも明日天候悪いけどバスで近くまで行ってから登るかと・・・。
考え抜いたあげく14:50タクシーで灰ヶ峰に行きました。運転手さんに話を聞くと灰ヶ峰登るのは山登りに慣れた人じゃないと大変だし、い ろ い ろ と 危 険 なので普通乗用車までの車で登るのがいいよとおっしゃっていました。(「いろいろと危険」は口外出来ないので各自ググってください)
ちなみに車窓からすずさんの住んでいた辺りを見ていたんですが、
かなりの坂道に住宅が建っていて、その坂道の角度を例えるなら。
「大洗磯前神社の階段ぐらいの角度」でした。
(なので分かりやすく画像をガルパンにしました(笑 )
ちなみにすずさんの住んでいた辺りは聖地巡礼の地にしないようにと公式から呼びかけております。

15:20タクシーの運転手さんのおかげで灰ヶ峰の山頂に着きました。見晴らしはとってもよかったです。(*´ω`*) (※呉駅から灰ヶ峰まで約30分かかるので、タクシーの運転手さんに灰ヶ峰山頂で待たしていただくようお願い致しました。タクシーで往復する時は要相談してくださいね。)
灰ヶ峰山頂の展望台。
ここに来るのが実に嬉しかった。
ツツジが咲いていてとっても綺麗だった。
展望台の入口。
灰ヶ峰の展望台は八九式12.7㎝高角砲の砲台跡を使用して作られています。
ちなみに真ん中が盛り上がっていて脇に雨水が流れるように作られていました。
灰ヶ峰山頂に配置されたのと同じ八九式12.7㎝高角砲(写真は1/10戦艦大和の装備した物)。
「この世界の片隅に」では3月19日の空襲時に一瞬だけ砲身が出ます。
ちなみに結構でかい砲で当時よく山頂まで運べたなあと思いましたが、
タクシーの運転手さんから当時の幅は現在より半分ぐらいの幅で狭いけど、
現在と同じ場所に車が通れる道があって、そこから砲を運んだそうです。
展望台の解説板。
天気が良ければ四国も見れますが、黄砂で見れなかった。
旧海軍の砲試験で良く聞く亀ヶ首も見れました。
(左方向に延びる左端の島が亀ヶ首)
呉と広が一望できます。
「この世界の片隅に」の原作で3月19日の空襲のシーンで
この風景が出るので「ああ、ここだ!」と感慨深かったです。
呉の全景。
タクシーの運転手さんによると現在約20万人ですが、
戦時中には50万人(!)も住んでいたそうです。
灰ヶ峰から見る護衛艦 かが。
「NYK LINE」と書かれた船の奥にあるのが護衛艦 かが。
戦艦大和とほぼ同じ大きさなので「大和はあの大きさか・・・」
と疑似視認していました。
タクシーの運転手から戦時中呉には海軍さんが居ったから廣島より裕福だったと聞いたり、福井県の話とかいろいろ話しながら下山し16:40呉駅に着きました。その後宿(ごとう@NETさん)にチェックインしてから休憩後、ゆめタウンで買い物してレクレにある大和温泉物語で風呂と食事してからすずさんと周作さんがデートで語り合っていた小春橋に行きました。
呉駅にあった広電バスの「この世界の片隅に」ラッピングバス。
多分1台しかないのかな?
ゆめタウン1階食品売り場の「この世界の片隅に」コーナー。
色んなお土産のお菓子が置いてあった。(*´ω`*) 
大和温泉物語にある和風ダイニング おぼろ月さんで夕食しました。
初 千福と呉定食とカキフライを食べました。
肉じゃかとか がんす とかどれも美味しかったです(*´ω`*)
堺川にかかる小春橋から見た灰ヶ峰方向。
すずさんと周作さんが見たのはこの方向。
すずさんと周作さんを映しているカメラ(低くて斜めだけど)
架け替えられた小春橋ですが真ん中にすずさんと周作さんがおると想像してください。

お宿に戻ってから千福で晩酌しながら22:30就寝しました。

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