2017年6月1日木曜日

「この世界の片隅に」の聖地巡礼で呉に行きました 後篇

5月9日(火)
雨の呉駅から8:45広電バス9番乗り場の辰川線に乗って辰川バス停に来ました。やっぱり一酸化炭素を燃料にする木炭バスより軽油を燃料にするディーゼルエンジンが登坂能力が高いです(当たり前)
広電バス9番乗り場。
ここから辰川に向かいます。
辰川バス停。
バスはこの後右の狭い道へと行った。
このあと辰川小学校跡地を見て坂を何気なく何も考えずに降りたら何度も映画に出てきた三ツ蔵が現れました。
辰川小学校跡地。
下長之木国民学校のモデルとなった小学校ですが、
学校の統廃合により現在は住宅地になっています。
小学校の跡地と分かるのはこの二宮金次郎像と標柱しかありません。
何気なく歩いたらその建物が目に入ってきました。
ちなみにこの歩いた道はすずさんと同じ歩いた道です。
「この世界の片隅に」で何度も出てきた三ツ蔵。
商家の家だった旧澤原家住宅の蔵で現在国指定重要文化財になっています。
ちなみにこの三ツ蔵の道路近くがスーパーがあって結構車どおりが
多いので、訪問時注意が必要です。
ちなみに三ツ蔵の脇道を通ると裏に出ます。
外見は表と違って真ん中が低くなっていますが、趣のある外見になっています。
このあと朝日遊郭のあった朝日町(ただの住宅地になっています)に行ったり、千福の三宅本店さんに行きました。
千福の三宅本店さん。
名前の由来は創業者の母と妻の名前から社名になったそうです。
練習艦隊で赤道2回通って変質変味しなかったので以後各海軍基地で納入されたそうです。
日本酒の工場も近くにあり、甘い香りが漂っていました。(*´ω`*) 
ギャラリー三宅屋商店さん。
千福のアンテナショップで千福の展示や買い物さらに「この世界の片隅に」の展示がありました。
館内は撮影禁止になっているので目に焼き付けてください。
ちなみに「この世界の片隅に」ラベルの千福を買いましたw。
千福の煙突。
レンガ造りの煙突で「この世界の片隅に」にも出ているそうです。
国道185号線を南下し、11:00お腹が空いたので本通りにあるお好み焼き屋「いき」
さんでお好み焼きを食べてきました。その時に呉風のお好み焼きがあるのを知り、とっても美味しかったです(*´ω`*)
お好み焼き屋「いき」さん。
呉風のお好み焼きを出すお店で、
呉で呉風のお好み焼きを出すお店は少なくなっているそうです。
オタフクソースの幟を見つけたらお好み焼き屋さんに当たりますw
まずは生ビールで乾杯!
呉風お好み焼きと千福。
呉風お好み焼きの作り方は先に野菜、肉を炒めて細うどんと絡めて
薄く延ばした生地に具材を乗せて半分に折るのが呉風の作り方だそうです。
中がモッチリしているのが美味しかったです(*´ω`*)
ちなみに具材をおでんにしたものもあるそうです。
お好み焼き屋「いき」さんを後に12:12亀山神社に来ました。
呉市の中で大きな神社です。
亀山神社。
1300年もの歴史のある神社ですが、
1886年に遷座して今の位置になりました。
元あった場所は入船山記念公園の場所です。
八幡さんと呼ばれ、第六潜水艇佐久間勉艇長の妻の一周忌を行った神社でもあるのです。
(第六潜水艇関連書籍に「八幡神社」と書かれても「八幡神社」がどこなのか分からなかったですね
 亀山神社を参拝後、めがね橋をくぐり、旧呉鎮守府庁舎を横目に見ながら歩きました。
めがね橋のゲート下。
このすぐ近くに下士官集会所(青山クラブ)があります。
旧呉鎮守府庁舎。
1907年に竣工したレンガ石造の建築で、
毎週日曜日に一般公開されていますが、
今回は外見だけで十分堪能しました。
そして13:00ついにある場所へたどり着きました。「この世界の片隅に」で250kgの時限爆弾が炸裂した場所です。
「この世界の片隅に」で250kg時限爆弾が炸裂した場所。
ここで晴美ちゃんとすずさんの運命が大きく変わる。
ただ、この道当時はなかったらしく、製作中どうしてもでっち上げた場所なのだそうです。
しかし、手を合わせずにはいられなかったです。
この場所で見られた艦艇は護衛艦かが が見れました。
しかし・・・。
(見えづらいですが中央のクレーンとクレーンの隙間に かが があります)
偶然ドッグに一隻の艦艇がドッグ入りしているのが目に入りました。
あとで知ったのですが、この艦艇の名前は
とね
だそうです・・・(´;ω;`)
この場所の近くには歴史の見える丘と呼ばれる公園があり、旧呉海軍工廠礎石記念塔や噫(ああ)戦艦大和塔などがあります。
歴史の見える丘は日本遺産に選ばれているそうです。
旧呉海軍工廠礎石記念塔。
1982年に残存していた旧呉海軍工廠の礎石を集めて建てたものです。
噫 戦艦大和塔。
戦艦大和を建造した旧呉海軍工廠を望むこの地に、
1969年の第30回大和進水日(8月8日)を記念して
呉大和会により建てられたそうです。
アレイからすこじまに行くために13:26発の広電バスに乗り(遠くて疲れたので)、13:35アレイからすこじまに着きました。雨が強く降っていましたが、艦船や潜水艦があってもう至福でした(*´ω`*)
子規句碑前から乗りました。
アレイからすこじまからの風景。
潜水艦や艦船の見える公園で、もう最高です(*´ω`*)
ちなみにアレイは英語で路地、からすこじまは昔呉にあった島の名前(烏小島)だそうなので、
漢字にすると「路地烏小島」になります。
護衛艦いなづま、さみだれ、かが。
舞鶴では観られない艦船。
敷設艦むろと。
水中聴音監視装置を敷設することを主任務としているらしい。
これも舞鶴では観られない艦船。
潜水艦救難艦ちはや。
深海救難艇(DSRV)を使用して沈んだ潜水艦の乗員を救助する。
魚雷積載用クレーン。
「この世界の片隅に」でも出ていた設備。
出てきていた角度はこの角度かな?
おやしお型潜水艦。
おやしお型は船尾の舵が十字舵なので浮上時、上の舵1つが水面から飛び出ているのが特徴で、
最新型のそうりゅう型だとX舵なので2つ舵が水面から飛び出るのだ。
排気ガスを出すおやしお型潜水艦。
おやしお型潜水艦はディーゼルエンジン(と電池)で動くので、
排気ガスが出る。
ちなみにこの日そうりゅう型潜水艦はいなかった。
退役した掃海艇まえじま。
つい最近退役したばかりですが、4年前に舞鶴にいたそうです。
6年前現役当時のまえじま(撮影地若狭湾)。
2013年呉に来た時に艦番号675→729に変更。
最後に見れてよかったです。
退役したばかりの潜水艦あさしお(はるしお型)。
本艦には先進潜水艦技術のテストベッドの役割が与えられ、
そうりゅう型に標準装備しているスターリングエンジンの試験もしていた。
おやしお型(左)とはるしお型(右)の違い。
おやしお型は角ばった船体に対し、はるしお型は丸い船体となっている。
あさしおの退役により現在海自にはおやしお型とそうりゅう型の2タイプとなっている。
アレイからすこじまにある東屋。
6年前に建てられた建物ですが、この建物があったおかげで
雨を防ぐことが出来ました(*´ω`*) 
アレイからすこじまの海岸。
岩にはワカメが多く生えていました。
14:15アレイからすこじまを去り、14:30呉駅に戻ってきました。呉駅にあるクレストビルの階段で「この世界の片隅に」パネル展示があったので見に行き、15:00呉港湾ターミナルビルにて1時間休憩しました。
クレストビルの階段「この世界の片隅に」パネル展。
映画のワンシーンや映画に出てきた場所の現在の写真などが展示していました。
(現在は終了しています)
下士官集会所(青山クラブ)とか
昨日行った小春橋とか
国立病院の階段とか・・・
16:00西三津田町にある鯛乃宮神社に向かい、8年ぶりにその地を訪れました。
道路から見た鯛乃宮神社にある第六号潜水艇殉難之碑。
けっこう大きいのでその存在はすぐに分かります。 
鯛乃宮神社にある第六号潜水艇殉難之碑。
1910年(明治43年)国産初の潜水艇の遭難事故で亡くなった
14人を慰霊するために1912年(大正元年)高さ19mの慰霊塔を作った。
ちなみにすずさんより13歳年上です。
第六号潜水艇遺品奉納室
戦後第六潜水艇が解体され桟橋の一部になっていることを知った人たちが
部品を保護し、その一部がこの第六号潜水艇殉難之碑根本にある
奉納室に眠っている。
ちなみにここにあるのはスルイスバルブとスクリューである。
鯛乃宮神社唯一の道である階段。
鯛乃宮神社は小高い丘にあるのでどうしてもこの階段を登らないといけない。
こんなに急なので嫌がおうにもあんこうチームごっこが出来ますw(車幅が足らんよ)
二河川を北上し、二河公園に来ました。その後休憩して体育館前バス停で広電バスに乗って呉駅に戻ってきました。
忠勇護国慰霊碑
1936年(昭和11年)建立された。
殉職者慰霊碑。
こちらは1922年(大正11年)に建立された慰霊碑。
どちらも明治以降の戦没者を弔うために建立された。
ちなみに二河公園にある石碑たちを見た感じは、行ったことないけど台湾に来たのかな?と錯覚しましたw
二河公園に生えるユーカリの木。
ちょっと離れていてもけっこうな匂いがするので、蚊遣りにはもってこいだと思いました。
二河公園にあるヌートリア注意の看板。
二河公園にヌートリアが居ること自体驚きでしたw。
現在のニ河公園。
昔は桜の名所でしたが、現在では大きなグラウンドと球場があります。
広電バスの体育館前停留所
ここから広電バスに乗って呉駅に戻りました。
呉駅に戻ってゆめタウンで本を買い、夕食と晩酌してから大阪行きの夜行バスに乗り20:30呉を去りました。
啓文社ゆめタウン呉店さんに飾られていたこうの史代先生の色紙。
生の絵は印刷物よりやっぱり違うし、生の絵はいいものです。
呉駅の味庵くれさんで頂いたアサリ丼定食と唐揚げ。
これがとっても美味しかった。(*´ω`*)
酒はもちろん千福です。
呉駅5番バス乗り場。
ちなみに呉でバスと言えば広電バスが多数を占めているので、
JRの夜行バスの乗り場は呉では1つしかないので実に迷いにくいです。
 翌日6:00に大阪駅に到着してそこから電車で山科→近江今津で降りて車で峠を越えて自宅に帰りました。これにて呉への旅は終わりました。
翌日の大阪駅JR高速バスターミナル。
帰りは大阪→近江今津ですがほぼ立ちっぱなしで疲れました(╮´ω‘)
この旅で分かったことを列記しておきます。
・呉は廣島との区別意識がある。
呉と廣島は直線距離でたった17kmなのですが、話を聞いた人によると「戦時中は呉に海軍さんがおったから呉のが暮しよかった(廣島は陸軍が駐屯していた)」とか「呉には独自のお好み焼きがある」とか廣島との区別意識がある感じでした。(といっても自分のところの魚が美味しい!みたいな感じです)なのでこのことを踏まえて「この世界の片隅に」を見ると新たな理解が深まると思います。
・お好み焼き屋さんとお酒(千福)は「おかめ」を探すといい。
お好み焼き屋さんの前には必ずオタフクソースの幟が掲げてありますし、呉の酒蔵「千福」さんのシンボルマークはおかめなので、お好み焼き屋さんとお酒(千福)を探すには「おかめ」を探すが一番です。
・広電バスは呉駅から呉市街片道で250円以内で行けれる。
呉駅から辰川まで170円。アレイからすこじまから呉駅まで220円で行けれますし、結構な頻度でバスが来ているので、歩いて疲れた場合は広電バスを利用するのがお勧めです。

何にしても呉市内を歩きまくって疲れましたが、楽しい呉の旅でした(*´ω`*)

ここまで長い呉旅の文章をお読みいただきましてありがとうございました!く(`・ω・´)

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